怒りをコントロールできない夫。DVの矛先は妻と娘へ

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「周りからはやさしそうな旦那さんと言われてましたが、実は一度切れると怒りをコントロールできないDV夫でした」

そう話すのは、50代で2人の娘を連れて離婚をしたNさん。

今回は、DVに耐え忍んだ日々や離婚を決意したきっかけ、その後の夫とのやりとりについてNさんにお話いただきました。

【離婚時のプロフィール】

  • Nさん:50代前半
  • 元旦那:50代前半
  • 離婚までの結婚期間:15年以上20年未満
  • 子供:18歳と21歳の娘2人
  • 離婚種別:協議離婚

普段は大人しい夫が豹変!

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Q.離婚を考え始めた原因は何ですか?

まわりの人たちからも『やさしそうな旦那さんね』と言われるような、普段は物静かな性格の元夫でした。

ただ、いったんスイッチが入ると、本人いわく『自分でもコントロールできない』ほど怒りがエスカレートして、その矛先が、妻である私と長女に向けられていました。

最初は怒鳴り散らすことから始まって、最終的には物を投げたり、殴る蹴るの暴力まで発展し、一度最後まで行かないと怒りが鎮まらない状態でした。

子供が小さいうちは怒らせないようにしていましたが、そのストレスが少しづつたまってきて離婚に至りました。

Q.離婚に至るまでの流れを教えてください。

離婚を考え始めたのは、長女が中学生になってから、元夫の家庭内暴力の吐口が、私から反抗期の長女に移り変わったしまった時だと思います。

反抗期の娘が、彼のいいストレス発散の吐口になったとしか思えないイチャモンの付け方とそれに続く暴力で、子供を守るには離婚もあるのではないかと考えました。

実際に離婚を切り出したのは、それから数年経ってからで、そこから話し合いを始めました。

怒りが暴力に発展する人なので、家で話し合いをするのではなく、彼が比較的冷静になる外の喫茶店を選んで話し合いを続けました。

Q.離婚の中で最も大変だったことは何ですか?

元夫との話し合いに関しては、思ったほど大変なことにも、感情的なことにもならなかったのですが、元夫の家族、義家族との話し合いは、想像以上に大変で、離婚とは夫と妻の間の出来事だけではなく、家族間の出来事なのだと思い知らされました。

義母にはとても可愛がっていただいていたので、義母の悲しむ姿を見るのは、夫と別れる数倍も悲しく思いました。

また、離婚の話し合いをしている最中に、義父が倒れたことも、話し合いの腰を折る困った出来事でした。

お金のことよりも、娘2人の将来や親の離婚をどう思うのか心配だった

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Q.離婚にあたって不安はありませんでした?

子供がある程度大きくなっていたことと、二人とも大学生になっていて学費保険にも加入していましたので、お金に関する不安はありませんでしたが、年頃になった娘たちが、親の熟年離婚をどう受け取るかが不安でもあり、母親と娘たち、父親と娘たちの話し合いを重ねました。

また、娘たちの結婚に、親が離婚していることが、どれだけマイナス材料になるかわからず不安でしたので、いろいろなサイトを調べ、離婚経験者の話などを参考にしたことを覚えています。

Q.離婚前にしておけばよかったと思うことはありますか?

仕事をしていましたし、離婚を考えてから離婚するまでに数年の時間を費やしたことから、将来のために自分名義の銀行口座を作り、少しずつ預金を重ねていました。

娘たちがある程度の歳になってからは、副業として自宅でできる仕事を、夜中の皆が寝静まった時間にやって、将来のための預金残高を増やす努力をしました。

また、車の運転を元夫に任せていましたので、将来の仕事の職種の幅を広げるために、空いた時間に教習所に通って運転免許の取得をしました。

両方とも、離婚後に大変役に立っています。

Q.最後に離婚してよかったと思いますか?

離婚を期に、今まで自分がやりたかったことをやり、住みたかった場所に住み、行きたかった場所を旅して、自由な時間がこれほど幸せをくれるのかと感動した反面、どれだけ、結婚生活においての閉塞感、束縛感が、いつの間にか自分をがんじがらめに縛っていたのかと、改めて気がつきました。

心配していた子供たちも、親が思うよりよっぽど成長していたようで、今では、親の良き理解者になっています。

また、それまで、ほとんど育児に参加せずに、母親任せで子供とのコミュニケーションを取らなかった元夫も、離れて父親の自覚を再認識したようで、今では、子供たちとも一緒に暮らしていたときとは比べ物にならないくらい連絡をとり合っているのも、離婚してよかったことの一つです。