旦那に名前を間違えられた!浮気の疑いが確信に変わった瞬間

女性 悩み 1人

結婚してからずっと、夫に女性の影を感じていたという妻のHさん。

ずっと抱いていた不倫疑惑が、ある日の夫の言動により、確信に変わった瞬間があったと言います。

そこから離婚の準備を進めたHさん。

今回はそんなHさんが、興信所を利用し、調停離婚に至るまでのお話をお伺いしました。

【離婚時のプロフィール】

  • 妻(Hさん):20代後半
  • 元夫:20代後半
  • 離婚までの結婚期間:1年以上3年未満
  • 子供:なし
  • 離婚種別:調停離婚
  • 慰謝料:100万円

大学のサークルの先輩と7年付き合い、結婚へ

夫 浮気 不倫 離婚Q.元夫との出会いから結婚に至るまでの流れを教えてください。

彼は大学のサークルの一年先輩で、私が一年で入部した夏頃から付き合い始めました。

彼は一人暮らし、私は実家暮らしで、休日は私が朝彼の家に行き、昼ごはんを作り、掃除洗濯をし、ビデオを見て夕食を作り・・という事がほとんどでした。

彼は前の年にやりたいことはすべてやったと外出することに興味を示さず、外へ出かけたのは数えるほどでした。

お金を貸したり、食料品代も私持ちで、これでは家政婦以下だなと一度別れを切り出しましたが、その時は私の両親に電話で挨拶をすることで了解してしまい交際をまた続けました。

その後同じ付き合い方のまま7年目ぐらいの時、私に他に気になる人もでき再度別れを切り出し一度はケリを付けましたが、数日後に再度電話があり結婚したいと言われ「特にけんかをしたわけでは無いし、お互いに理解しているわけだからこの人で良いかな」と思い結婚に踏み切りました。

Q.離婚を考え始めた原因は何ですか?

1年過ぎたころから何か言動に不自然さと女性の存在を感じました。

相手の予想はすぐに着きましたが、名前を呼び間違えられた時に確信しました。

家で2人でテレビを見ていると「あっ!」と言って、どこかへ電話(当時は家の固定電話)を掛け、「○○ですけど。今何チャンネルを見るように(笑)」とだけ言って戻ってきました。

「誰?」と聞くと「会社の人。ちょっと知り合いが出ていたから」と答えました。

翌日彼が出勤した後リダイヤルすると彼女の実家で母親が出ましたが何も言わず切りました。

私の目の前で彼女に電話するのかと呆れ、バカにされているとも思いました。

休日に一人で出かけることが増え、ファミリーカーだった車はオープンカーに変わりました。

ある日彼が座る位置のテーブルに丸めた紙があり、開くと遊園地の半券が2枚でした。

そのまま丸め同じ位置に戻しましたが、数日間同じ場所に置いたままでした。

上手く立ち回るタイプの人なのに、私の目に付くところにそういう物を置いておくということは、私に気づかせて離婚したいのかなと思うようになりました。

「お互いに物凄く結婚したくてしたわけでは無かったよね。もう一度これからのことをよく考えてみよう」と言い出し、話し合い旅行という名目で旅行に出ましたがとくにその時話はせずに、その後帰りの遅い日がありながらも普通に生活していました。

夏になり、取引先と北海道旅行に行くと言われ、出発前夜やたらとセカンドバッグを抱えていましたが彼が入浴中に中をのぞくと、彼名義と私名義の飛行機のチケットが入っており、彼女からの手紙もあって読んでしまいました。

その手紙には、「○○さんが私の人生を切り開いてくれると信じています」等と書いてあり、彼女も彼との結婚を望んでいるように感じました。

それでもう親にも話そうと、その北海道旅行で彼がいない時に実家へ帰り私の両親に話し、離婚を考えていること、興信所に証拠をつかんでもらう予定であることを告げました。

興信所に依頼して不倫の証拠を確保。そのまま調停へ

夫 謝罪 妻 喧嘩Q.離婚に至るまでの流れを教えてください。

興信所に依頼して調査5日目で証拠が取れたと連絡を受けました。

その後調査報告書が実家へ届くのを待って、金曜日の夜両親に来てもらい一緒に彼の帰宅を待ち、彼に浮気している事を知っていること、離婚したい事などを切り出しました。

予期していたのか彼は否定せず両親に謝罪しましたがその時点では特に何も言いませんでした。

翌日引っ越し業者の手配をしてあることを告げ私は実家へ移りました。

翌日彼は自分の実家へ帰っており、私は業者と共に自分の物や家財道具をほとんどすべて持ち出しました。

その後私は新しいアパートを探して実家から離れ、同時に離婚調停の申し込みをしました。

調停は一か月に1回程度で合計4~5回位だったと思います。

申し込んでから半年後位に調停成立で証書を貰い、区役所にその証書を提出することで離婚成立になりました。

Q.離婚交渉で最も苦労したことは何ですか?

離婚調停を申し込みましたが、お互いに弁護士を立てたわけでは無いので、調停の日には待合スペースで会ってしまい、調停後に2人で話をするようになり、涙ながらに謝罪されると心が揺れました。

一度は彼の時間つぶしに付き合う形で映画も見ました。

この局面も2人で乗り越えられるのかなと考えることもありましたが、私は性格上いつまでたっても彼を責めるだろうし、いずれそんな私に彼も嫌気がさすだろうと考え、戻れない、やり直せないと告げましたが、彼はそれでもかまわないとかなり粘られました。

婚姻期間は2年しか無かった為、財産分与で貰えるほどの金額は無く慰謝料も思ったほどはもらえませんでした。子供もおらず、親権交渉も無かったので比較的簡単な交渉だったとは思います。

派遣社員の給料だけで、一人暮らしできるのか最初は不安だった

妻 お金 計算 電卓Q.離婚にあたって不安はありませんでした?

子供もいないので、自分の生活費のみの心配でした。

一人暮らしは初めてで、派遣社員の給料だけで生活できるのか不安でした。

ボーナスは無く、時給制なので、病気で休んだらお給料は減ってしまいます。

また離婚前からの職場だったので調停の日には早退しなければならず、何度も早退するのは他の社員の手前とても申し訳なくどう思われているのか不安でした。

またそれまでは上司一人にしか調停中であることを伝えていなかったので、離婚成立時に旧姓に戻ることをどういう風に他の社員に伝えるべきか迷いました。

Q.離婚の中で最も大変だったことは何ですか?

生活の資金繰りです。

慰謝料は今後の為に極力手を付けないでおこうと思っていました。

大体の家財道具はありましたが、エアコンは彼の所においてきたので、当初はエアコンなしで、冬から翌年の夏までは我慢しました。

2年おきにアパートの更新料がかかるのが大変で、夜にはコンパニオンのアルバイトをし、生活費の補填と、少しずつですが更新料の為に毎月貯めるようにしました。

普段自宅でお酒を飲むのを我慢している為、コンパニオンの仕事の時にその分呑んでしまい、翌日会社に遅刻することが数回ありました。

その分の時給を貰うわけにはいかず、本末転倒になるのでアルバイトは極力週末だけにしました。

毎回更新月が来るのは恐ろしく、やっとの事で払うと手元にはほとんど残りませんでした。

衣類は母が手作りするので極力母に縫ってもらい購入は控え、食事はほとんど自炊し、職場へもお弁当も持参していました。

結婚より離婚のほうが大変だという話は本当だった

女性 1人 離婚Q.離婚前にしておいてよかったと思うことはありますか?

良かったことはパートではなく、派遣社員ですがフルタイムの仕事に付いていたことです。

もし離婚や調停と求職が重なると精神的にも疲れてしまっていただろうと思います。

よく結婚より離婚の方が大変だと聞きますが、まさにその通りでした。

派遣会社にも離婚調停をすることをはなしておいたので、派遣先にも会社から話してくれ、調停で早退する際も上司に言いやすかったです。

しておけばよかったのは弁護士さんに前もって相談すべきだったかもしれない点です。

子供がいないのでそれほど争わないからと当初は相談しませんでしたが、慰謝料が思いのほか少なく途中で弁護士さんの所へ相談に行くと2年ではその程度しか貰えないと言われガッカリしました。

Q.最後に離婚してよかったと思いますか?

彼と付き合い始めたころ私は初めての交際で彼が言うことにすべて従っているような付き合い方でした。

結婚すれば少しは私のやり方で出来るかと思っていましたが関係性は変わらず、彼は家事を全く手伝わず、布団は自分の分しか引かず、風呂も「汚れているよ」と言うだけでした。

家賃は彼の口座からの振り替えで、食費・光熱費として10万円渡されていましたが、彼のお給料がいくらなのかは教えてもらえませんでした。

私のお給料は貯金に回すことにしていましたが、彼女と付き合い始めたころから減らされることがあり、私も働いているのだから少し出してくれと言われることもありました。

調度彼が彼女と北海道に旅行に行った時で、考え方によっては二人の旅費を私が出したと言えるのではないかとも思いました。

また、食後の洗い物をしているときに呼ぶので中断して行くと、ビデオを入れ替えてくれと言われ、「お手伝いじゃないんだから」と言いながらもやってあげると「給料に差があるのだから主と従があるのは当然だ」等と言われ、その時に議論・反論が出来ませんでした。

離婚する際、給料額を教えてもらえなかった点を言うと、言っても良いと思っていたと言われましたが、実際に教えたかは疑問で、離婚でやっと解放されたように感じました。