妻から給料が少ないと言われ続け、離婚をする決意した夫Cさんの離婚エピソードを紹介します。
とくに今の時代、新型コロナウィルスの影響で、仕事を失った方や収入が減少している方が多い中、決して他人事ではないお話でした。
【離婚時のプロフィール】
- 夫(Cさん):20代後半
- 元妻:30代前半
- 離婚までの結婚期間:5年以上10年未満
- 子供:なし
- 離婚種別:調停離婚
- 慰謝料 200万円
職場の先輩だった妻。良好だった関係は妻が専業主婦になってから変化
Q.元妻との出会いから結婚に至るまでの流れを教えてください。
元妻は職場の先輩でした。
社会人になって初めて勤めた職場のため、不安だらけの中優しく教えてくれたことを覚えています。
半年くらいは普通の先輩後輩でしたが、何気なく食事に行くようになり、気がつけば仕事以外の時間も共有するようになりました。
仕事場では普通を装っても必ず私情が入り、先輩ということも忘れてムッとしたりと最初は苦労しました。
自分の年が20歳になったばかりであまり結婚を意識してはいませんでしたが、相手が4歳上であったため、自然と意識するようになりました。
結婚を切り出したきっかけは相手が仕事を辞めることになった時です。
それまで昼は職場で顔を合わせることが普通であったため、プライベートの時間も仕事の延長線上のような付き合い方でしたが、いざ顔を合わせなくなると寂しくなり、存在感が大きいことに気づきました。
プロポーズをした記憶はないですが、気づけば式場巡りが毎週の楽しみになり、結婚に至りました。
Q.離婚を考え始めた原因は何ですか?
結婚当初はお互い仕事をしていましたが、勤務先の場所の関係で元妻の家に居候するようになりました。
歳下ということもあり、同居当初は可愛がられていたと思います。
お互いの関係がずれ始めたのは妻が仕事を辞め専業主婦になった頃からです。
それまでは一人居候であった私の味方であった元妻が一転、家の手伝いや家族との接し方に厳しくなり、毎日あなたは間違ってる、私の親なのにと不満を言うようになりました。
この頃から私の中でも孤独感が高まっていたと思います。
同居を辞めて家を出て二人で暮らす話をしたこともありましたが、聞いてもらえずしまいでした。
もちろん私も完璧な人間ではありませんので、不満の原因となる態度をしたこともありましたが、やはり同居で味方がいない孤独感は耐え難いものがありました。
きっかけはお金に関する価値観と、性の不一致です。
私は子供が好きなタイプで、早いうちに子供を作りたいと元妻にも話していたのですが、元妻はあまり欲しがらず夜の行為も自然と減っていきました。
それと合わせて今度は私の稼ぎについて文句を言い始めました。
当時営業職についていたため、同期と比べても稼ぎは決して悪くない方でしたが、足りない足りないと毎日のように言われるようになり、ある日言われた「後2.3万は簡単に稼げるでしょう」の言葉がきっかけで妻に対しての不信感がつもり、離婚を切り出しました。
うちの娘は悪くない!離婚報告の際に義両親からも責められた
Q.離婚に至るまでの流れを教えてください。
離婚を切り出してすぐに元妻の親にも話が伝わり、激しく攻め立てられました。
うちの娘は全く悪くないの一点張りで、こちらの話など全く聞いてもらえません。
ただ私も同居に甘えていた部分もあり、非がないわけではないと自覚はあったため、別居の期間を設けお互いを見つめ直すことになりました。
ですが関係性は変わらず、お互いを見つめ直すどころかたまに合えばやはり口論になり、こちらの話は全く聞いてもらえなくなりました。
このままでは何も進まないと思い、調停を申し立て、第三者も交えて話を進めることにしました。
調停は月1回で、離婚成立までにはやく1年かかりました。
調停委員の方からも慰謝料の発生するようなものではないが、納得させる意味でもある程度支払った方がとの助言もいただき、成立に至りました。
Q.離婚交渉で最も苦労したことは何ですか?
話を全く聞いてもらえないことです。
別居後も電話には出なく話も出来ず、調停を申し立てた時も何の相談もなくといわれ、話すにも話せない状況であったにも関わらず理不尽な言いがかりをつけられ、何も出来ませんでした。
話す機会を設けて歩み寄れていれば違った結末にもなったかもしれませんが、やはり話ができないというのは何も進まないものです。
顔を合わせなくても声のトーンや口調で相手の様子をよむこともできますが、それができないのはやり苦労しました。
親への報告、親族や友人への離婚報告は、とても言いづらかった
Q.離婚にあたって不安はありませんでした?
親にかける負担です。
私の家系は離婚経験のない家庭であったため、離婚に対する抵抗はかなりあったと思います。
周りの親戚からもバッシングも予想できましたし、自分たちの問題に巻き込んでしまうことがとても申し訳なく思いました。
特に母親には相談も出来ずであったため、ショックも大きかったと思います。
自分の子供には幸せになってもらいたいと思うのが普通だと思いますので、自らの決断とはいえ母を想うととても心苦しかったです。
Q.離婚の中で最も大変だったことは何ですか?
親戚への報告、友人への報告です。
同じ職場であったため共通の友人も多く、互いから話を聞いている方もおり、報告には気を遣いました。
私もですが、どうしても自分を正当化して、納得してもらえるように話をしてしまうもので、人によっては厳しい声もありました。
ですが、これは決断した時から覚悟していたことてあり、申し訳ない思いもありました。
仲の良かった友人ほど厳しい声をいただいたのを覚えています。
失った友人も多くいますが、これも自分にも責任があることなので受け止めました。
親戚も離婚に対する抵抗がある方が多いですが、心配してかださる方も多く、改めて離婚が2人だけの問題ではなく周りも巻き込んでのものなのだと痛感しました。
Q.離婚前にしておけばよかったと思うことはありますか?
周りへの心配りはもっとしておくべきでした。
ほとんどの友人へは結果しか伝えておらず、驚く友人がほとんどで、同時に結構なショックを与えてしまったと思います。
もっと相談していればここまでショックを与えることもありませんでしたし、自分も考え方や進め方も違ってきたかもしれません。
何より失った友人も少なくなく、もっと自分の考えや離婚に至った経緯を知ってもらうことで、少しでも理解しただけたかなと思います。
また、親に対しても同じです。
相談を持ちかけた時には既に自分のなかで決心がついていたため、相談ではなく同意を求めるだけのために話したようなものです。
Q.最後に離婚してよかったと思いますか?
お互い我慢しながら結婚生活を続けることもできました。
しかし、遅かれ早かれ決断する時はくると思いますし、お互いにとってその時間な長ければ長くなるほど、意味のない期間になってしまいます。
もちろん結婚当初から離婚を考える夫婦はいません。
幸せな時間もありましたし、お互いのよいところもたくさん知っていると思います。
なおさら、良いところを受け止めてくれるよい相手に早く巡り合ってもらうためにも、離婚の決断をしたことに後悔はありません。